euphoria

音楽と人生と情緒

scene

 

ネタバレは基本的に大丈夫なタイプ。というかあまりこだわりがない。アニメとか映画とか、まあされないほうが楽しめるけどされちゃったらされたで大丈夫かなーという気持ち。最初にそのことを明確に意識したのは約二年前、バイト先の先輩に勧められてジョジョを見ていたとき。会話の中でさらりと「このあとシーザー死ぬんだけど」と言われたその瞬間は頭を抱えたのちなんてこと言うんですか!ネタバレやめてください!と怒った記憶がある。その後、いざ該当話まで見進めると、最終的な結果は知っていたって、それまでに至る過程も、絶命シーンも実際目にするのは初めてなわけだから、ワクワクドキドキハラハラそして号泣までしっかり心を動かし尽くせた。あの経験を機にネタバレに対して寛容になった。もしかしたら「ネタバレに対し」というよりも「ネタバレしちゃう人に対し」かもしれないとも思う。ネタバレされてもわたしは気にしないし楽しめるから大丈夫ですよ、という余裕が生まれたのかも。

 

 

世の中にはネタバレ断固禁止派の人もいるけれど、自分が見たことのない映画やドラマに関して話を聞くという場面ではネタバレは必須になってしまうのではないだろうか。誰かに好きな映画の話を聞くときに、絶対にネタバレなしで!という制約をつけてしまったら、その人は満足に作品の魅力を語り尽くせなくなっちゃうんじゃない?という話。事前に考えてくる時間があるならまだしも、人対人の日常会話ではそうなることが多いのではないかな。わたしは、ネタバレも顧みず、その人が本当に心を動かされたというシーンや展開、セリフやテーマの話を存分に話してもらったほうがその作品に対する興味が湧く。なんだって具体的じゃないと判断しづらい。

 

それは自分の人生も同じかも。なんて、浅い眠りから醒めぼんやり冴えた頭で考える。目の前にあるすべてのこと、曖昧なままだとか、自分の努力次第だとか、そういうのやめて全部最初からある程度答えがわかっていたらいいのに、などと。「あなたは3年後この会社で働いています」と言われたとする。それが楽しそうだと思うところでも、なんでここで…?と思う場所でも、どうしてここになるんだろう?という疑問を持てる限り飽きてはしまわないと思う。「○月×日こういった出会いがあった結果そうなります」まで説明されてしまったとしても受け入れらると思う。それはワンシーンであって全てではない。一日ごとに「この日は何をして何が起きる」とバラされたらさすがにうんざりしちゃうけど、それぞれの出来事を前にした自分の感性はぶれなくリアルだし自分のものだ。

 

 

ここまでつらつらとそれっぽいことを書いてしまっただけで、実際のところ、この情緒のほとんどは一単語にまとめてしまえば “不安” だ。今のわたしには「明確なもの」が足りない。絶対なんてないけれど、絶対と言い切れるものがあると安心する。年が明けても変わりないペースで減りゆく日々に追い立てられる。今わたしの目の前で笑っているあなたの知り得ない本心が怖い。こんな弱気でめずらしい。早起きしてしまったから、今日は珍しく映画でも見てみようかと思う。

 

 

 

 

 

 

2019 雑感

 

残すところ日曜はあと2回、週が開ければクリスマス。あっという間に過ぎ去ろうとしている2019年ですが、マジで何だったんだ?という気持ちが強い。マジで何だったんだ。特に感想がない。もちろんそれはそれは色々なできごとがあったんだけど、何なら今まで生きてきて一番頑張った年だったのかもしれないんだけど、何だったんだ?以外の情緒がすぐには浮かんでこない。何だったんだ…

 

よくよく振り返ってみれば楽しかったこともたくさんあった。ピックアップするなら、4月のOMAKE PARK、そしてPROVOチームに混ぜてもらったジョインとRSRが特に。大好きな人とおいしいお酒(ごはんも!)とグッドミュージック、やっぱりわたしはそれに何よりの幸せを感じるんだな。CRJでの活動も2年目になって、結構な数のインタビューをやらせてもらえたことも良かった。音楽だけじゃなく人柄まで大好きになったアーティストさんがたくさんいる。私自身のスキルとしても、人と話すことが前より得意になった気がする。そういえばいろいろな場所で文章を書かせてもらう機会が多かったのもうれしかった。今こうしてなんてことないブログを書いているのもそのおかげ。求められなくてもわたしは一生文章を書くんだろうなあ、ということに改めて気がついた年だったかも。と言いつつ、感想とか反応とかもらえるとめちゃくちゃ嬉しいです。特に音楽系の記事。自分で書いた文章は全部好き(だって自分で組み立てた文章だから自分が読んで一番気持ちいいに決まっている)だから優劣はつけられないけれど、いちばん褒めてもらえる機会の多いDOSANCO JAMレポのリンクを置いておきます。

 

[REPORT]札幌sound lab moleにて3日間に渡り行われたライブイベント「DOSANCO JAM」をレポート。 | CHOKE

 

 

ちゃんと充実してんじゃーんってそうなんだけど。そうなんだけど、楽しかったな~というよりはずっと泣いてたな沈んでたなという印象が強いんだ2019年。1~3月は2018年の完全無敵・躁モードを引き継いでいたから、バカみたいなスケジュール(今手帳見返して眩暈した。ダブルブッキング以上の日が多すぎる!!)もOTO TO TABI初スタッフのプレッシャーもなんとか乗り越えていたけれど、4月に入ったあたりから徐々に躁が抜けて足取りが重くなり。本格化する就活、息苦しい恋、大好きなバンドのリーダーはいなくなってしまったし。楽しいこと嬉しいこと幸せを感じる時間はあれどいつまでも拭えない不安や寂しさ。わたしはどうしたらいい?お祈りメールを見るたび人格を否定される気持ちになり、うまくいかない恋愛が「わたしは女性としても必要とされないんだ」とさらに首を絞める。息苦しい。悲しい。寂しい。どうしたらいい?バイトが深夜までの日以外、毎日のように家で一人でお酒飲んで号泣して。エーン。それでも傍目には元気いっぱいに過ごしていたはずだからえらい。結局それも人に頼るのが下手っていう話なんですけど。この時期の自分のインスタ見たら具合悪くなってきた。

 

夏が来て、つめたい孤独の海から上がりたくて。わたしを愛してくれる家族や友人はいれど、濃く深い人間関係に疲れてしまって。軽くて浅いに憑りつかれて、やるべきことから目を逸らして、寂しくないことを最優先に、だらだらと薄っぺらい毎日を過ごした。自暴自棄にもなり切れず、中途半端に過ぎる日々。大好きなはずの夏は何も楽しくなかった。(先に挙げたジョインとRSRは楽しかったとても)

でもやっぱりそんなことはすぐに飽きて、夏が終わるころからはまた混沌の中に身を沈めた。日常生活に戻ってみたら、いつか「やりたいこと」だったものが、気がつけば「やりたかったはずのこと」「逃げ出してしまいたいこと」に姿を変えていた。

 

もうそこからは生か死かの世界線に久しぶりに突入してしまった。しんどかったときの記憶は脳が検閲かけて曖昧にしてくれる。細かいデティールはあまり思い出せないようになっている。とにかく感じたのは自分は人に頼るのが下手すぎ。大したキャパもないくせに人への頼り方が分からない上、根底にある「自分でやった方が楽で早いだろ」というメンタルがいつまでも抜けない。大したキャパもないくせに!完全無欠どころか、ノリと勢いだけで成り立ってる欠点人間のくせに!まじでこれどうしたらいいんだろう?個人的には長女拗らせてしまったせいだと思っているのだけど。誰かいい解決策を教えてほしい。人への頼り方。甘え方。

 

えーーーめっちゃ暗いことだらだら書いちゃった。このまま永遠に書けそうなのでこのあたりでやめる。何の得もない。いつか自分で見返したときのために記事としてとってはおくけれども!とにかく一年中「なんでこんなにずっと苦しいんだろう」などというどうしようもない感覚が拭えなかった。純粋にどうしたらいいんだ?ってずっと思ってた。なんなんだろうな。本当に何なのか分からないんだよ2019年!どうしてこうなったのか分からないの!わたしがわたしのことをちゃんと分かってないのが悪いんだろうか。これは永遠の課題。それでぶち当たってる壁だとしたら解決策見つけるの難しすぎる…

 

でも!最近かなり元気で!めちゃくちゃ単純な話だけれど、「人と直接会って話す、話を聞く、意見交換をする」ということに救われている。わたしとたった二ヶ月付き合っただけで振った贅沢な元彼と別れたおかげで、人と話すことの楽しさを思い出している。彼と付き合ってていても滅多にマトモな話ができなかったため、別れてからいろいろな人と話していると「え!?他人とこんなに楽しく話せるの!?」と感動してしまうという。いや「この人とならちゃんと話せる!」って思って付き合ったのにな。バグじゃん。まあこれかなり虚しいけどありがたい。もともと他人にガツガツいくのが得意な方ではなかったのだけれど、彼と付き合っていた間にかなりフラストレーションが溜まっていたようで、いま、本当に楽しい。人と話すことが。性別関係なく誰でも軽率にごはん誘ってしまいたい。あなたの話を聞かせておくれ。

 

ま~終着点のないとっちらかった文章になってしまった。2019年に対する思いが全く消化できずにいたから少しでも整理したかった、それだけでした。わたしは「しっかりしてるよね」と言われることがかなり多いのだけど、実際は全くそんなことがないからいつもしんどくなってしまう。今年は特に本当にしっかりしてなかった。来年はしっかりしてないことをちゃんと前面に出していき、人に頼れるようになることを目標にします。

たのんだ!

↑最近口癖になりつつある、責任の所在をさらっと人に押し付けられる便利な言葉

 

 

 

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白い溜息

 

「もう好きじゃないかもしれない」なんて言われたのは生まれて初めてだったかもしれない。普通の人間関係なら、わざわざ口に出さなくていい言葉。この人とは合わないなと思ったらそっと離れていけばいいだけ。ただ、形だけでも『彼氏 / 彼女』という枠の中に自分たちを置いてしまったのならそうはいかない。“別れる”という儀式がいる。別れ話、という単語が羨ましくなった。あれはただの儀式だった。

男の子に振られることも、恋人と別れることも、これが初めての経験というわけではない。でも、あんなに最低な気持ちになったのは初めてだった。喉元まで上がっていったいろいろな言葉を、想像以上に沈んだ気持ちが酷い重力で引き戻す。今自分がとるべき行動は、この部屋から出て行くことでしかないと思うのに、鉛のようなからだが動かない。苦しくて悲しくて悔しかったけど泣けなかった。

 

 

高校二年生のとき、大好きな男の子がいた。仲良くなって三ヶ月くらいが経った頃、彼は学校を辞めることになった。最後の登校日、近くの公園へ連れ出して告白した。彼は「そういう風には見れないけど、出会えてよかったと思ってる」と答えた。とにかく仲は良かったけれど、脈がないことは告白する前から分かっていた。それでも気持ちを伝えたい、という我儘な告白にもらう返答として、「出会えてよかった」という言葉は、この上なく幸せなものだった。学校から公園に向かう道中よりも、告白して振られたあと、公園から学校に戻る道の方が会話が弾んだ。間違いなく、出会ってからあの日までの中でいちばん心が近い状態で話せた。その後は一度だけ手紙のやり取りをして、10年後に同窓会でまた会って話そうね、それまでお互いなんとか生きようね、と約束をした。今でもわたしはその約束を果たす気があるし、もしもどこかで彼と会うことがあれば、あの日の続きのように話し始められると思っている。

 

わたしにとって恋愛とはそういうもので。上に書いた彼とのことがあった約一年後にできた恋人とは昨年の秋まで付き合っていて、その時も「恋人としてはもう見れないけれど人として認めていることは変わらない」と別れた。お陰で別れてからもずっと仲がいい。そのあとは二人ほど好きな人ができて、どちらも向こうにその気がなく全く恋愛には発展しなかったけれど、どちらの人とも現在 “人として” しっかり仲がいい。

性別、年齢、職業問わずわたしには好きな人、尊敬できる人、一緒にいて楽しい人、がたくさんいる。付き合うということは、そのどの人ともまた違う感情で、関係で、あたらしい「ふたり」になっていくということ。普段関わる誰に対するよりも素直に、正直に、まっすぐに向き合っていくこと。

 

 

これがわたしの主義なのに、互いを見つめ合うことも大してできないまま、冒頭に書いたように「もう好きじゃないかもしれない」などと言われてしまったことがひたすらに悔しい。正直、いい彼氏ではなかった、そもそも彼はわたしと向き合う気がなかった、ということも薄々感じてはいるけれど、それでも彼と「ふたり」になることを選んだのはわたしの意思だ。めちゃくちゃ悔しい。別れたからハイ終わり、二度とあなたとわたしの人生は交差しません。そんな人間関係は築きたくなかった。あと、わたしは自己肯定感がかなり高いので、自分はそれなりに魅力のある人間だと思っている。こんな素敵な女の子を振った彼はマジで愚かだと思う。「忙しいから」というよくある言い訳で振られたけれど、それは言い訳で実際のところ別の女の子ができたから振った、なんてパターンだったらマシマシで悔しい。この間D.A.N.のライブに一緒に行ってたお嬢様っぽいあの子ですか?もしあの子と付き合いだしたりしたなら次のD.A.N.の来札は出刃包丁を持って参加する。刺すのはもちろん男の方で、女の子に罪はないので男を刺したのち血塗れの手で抱きしめたい。熱いキスもしたい。

 

と、私怨や妄想はこれくらいにして。改めて、好きな人や好きだった人のこと、そして自分の思想を見つめ直したらかなり元気になってきた。わたしとわたしの愛する人は全員幸せにならなければいけないと心の底から思っています。幸せの形は無限にあるけれど、素敵な恋人と愛し合うこと、それもわたしの幸せの中の大切な一要素だから。だから、各位は素敵な男性がいらっしゃいましたらご紹介のほどよろしくお願い致します。人間的に魅力的な人なら見た目も年も気にしません。わたしが信頼するあなたが信頼する人ならOKです。ね。頼む。ちなみに髪型はセンター分けが好き。韓国アイドルみたいなやつよりは我らがokadadaみたいなやつ。

 

 

 

人生なにごとも経験!あざした!

 

 

https://youtu.be/aef27f4RaaM

 

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edge

 

 

久しぶりに好きな大人と話した。その人と一緒に動いていたのは半年と少し前のこと。わたしの人生に対して、当たり障りはないけれど優しく、そして正直なアドバイスをいくつかくれたあと、彼は「なんか大人になったんだね」と真面目な顔でつぶやいた。つい吹き出してしまったのは照れ隠しでもあった。いつだって嫌味なく軽やかな人。少しだけお酒が入っているらしい今日は、心が近くて落ち着かない。ちょうど最近、あの頃のことを考えていた。あの頃と言っても去年の暮れから今年の頭にかけての話、ほんの最近のことだけれど。あの時期もわたしは頑張っていた。プレッシャーで胃を痛めながらも楽しく駆け抜けていた。今のわたしもめちゃくちゃ頑張っている。今日は何故か肺が痛い。

わたしはこれまでそれなりに頑張ってきたし、今も何とかやっている。それを少しでも見てくれていて、少しでも認めてくれている人の言葉はいつだって面映ゆくあたたかい。じわりじわり胸に広がるコーラルピンクは穏やかな多幸感。わたしは幸せ者で、それだけで生きていけるはずだった。

 

 


わたしの表面しか知らずにわたしを雑に扱う人に明け渡す時間なんてない。誰かに必要以上に媚びる必要もない。惨めになってしまうのなら今すぐやめたほうがいい。ただ、大切にしてもらえないということは、大切にしなくてもいいように見えてしまう自分にも問題があるのだということも分かるから悔しい。鞄に常時忍ばせる煙草はお守りとしての意味を持たなくなってしまった。もっと自分を丁寧に扱いたい。生まれてから今日までその術を知らない。だから他人とも丁寧に関われない。ねえ、惨めになってしまうことはやめた方がいい。頭の中で繰り返しながら、また、酔うためだけにひとりでお酒を煽っている。今日の救いはPerfumeがサブスク解禁されたこと。あと五日くらいはPerfumeだけ聞いて無敵でいようと思う。去年 Future Popのツアーに行ったときの写真を添えて。

 

 

 

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うつつ

 

 

数ヶ月前、Twitterで「記憶は動画か写真かその他か」的なアンケートを見た。何秒か考えてわたしは『写真』の選択肢を押した。めちゃくちゃ少数派だった。え?みんなの記憶は動画なんですか?そもそも記憶なんていう主観でしか見えない曖昧なものを動画だ写真だと言い切ること自体が難しいのだけれど、わたしは深く考えずに写真だという答えを出した。ムービーを見るというよりは、ひとつの瞬間を切り取っている感じ。動くとしてもコマ送りのように。誰かの言葉も、その肉声で覚えているというよりは、場の雰囲気もニュアンスも流れも全て含めて頭の中で文字に書き起こして刻みつけているようなところがある。超絶偏った文系脳がそうさせているのかもしれない。

 

 


自分の気に入った瞬間だけを何度でも脳内で繰り返す。漫然と過ぎていった季節に大きな影が横たわっている。ベランダから見下ろした歩道、しゃがみこんで同じ高さになった目線、知らない街のコンビニ、柔らかいTシャツ、思い出して記憶を重ねた分だけ、わたしの夏に差す彼の影が濃くなっていく。くっきりと浮き上がっていく。そのうちそれは異質感を伴い出して、自分の出来事を追っているはずだったのが、いつか観た映画のシーンを辿っているような現実離れした気持ちに呑まれていく。もしかしたら実際にこれは現実じゃないのかもしれないと気がついてしまう。息苦しい毎日から目を逸らすために、何気ないワンシーンを必要以上に誇張した嘘っぱちのフィクション。自分で作り上げた虚構に恋をしているのかもしれない。でもそれならそれでもいいと思う。目の前に積み重なったタスクと、どうしようもない寂しさに殺されそうになる日々を忘れられるような夢ならずっと見ていたいと思う。 

彼の夏におけるわたしはきっとエキストラ程度の影の薄さで、エンドロールに名前は載らない。わたしのこの夏にエンドロールを流すなら、あなたの名前は一番最後に記す。それでいい。自分が愚かなことは疑いようもない。馬鹿になれない一方賢くも生きられない。開き直ることも悲観することもない。わたしに残されたあと二つの季節が巡る間、それくらいでいいから楽しくいたい。それだけ。

 

 

 

退屈な日々にさようならを

退屈な日々にさようならを

  • カネコアヤノ
  • J-Pop
  • ¥250

 

 

2018年9月6日と数日間のこと

 

ガタガタ揺れる視界の中、ベッドで上体を起こしたまんま固まったわたしは寝惚けた頭で「死ぬのかな」と思っていた。揺れが収まったあと、親に言われるがままパジャマから暖かい服に着替えてリュックに予備の着替えを詰めた。その他緊急用の荷造りをしながら、もしかしたらもう2度とこの家には帰ってこられなくなるかもしれない、と結構真面目に思った。そんな予感が現実的に迫るくらいの状況だった。小さい頃、もしも家が火事になったりしたらなにを持ち出そう、とよく考えていた。19歳になったわたしは自分の大好きなCDやら小説やら漫画やらが並んだ本棚を眺めながら「最悪全部捨てていけるな」と思った。我ながら意外だった。何ひとつ捨ててはいきたくないつもりだったけれど、いざそんな局面を迎えてみると、ここにある“モノ”が消えたって、そのモノに宿る思い出や気持ちまでが消えるわけではないからなーと感じていて、自分のことながら少し驚いた。とりあえず、これは心の支えとして一生必要、と思う盤だけ何枚かリュックに入れた。わたしの住んでいるところは揺れが収まった時点で既に停電していたから、この間ずっと暗闇。iPhoneのライトで部屋を照らしながら作業をしていた。友だちやバイト先の店長から安否確認のLINE。テレビはつかないのでTwitterで情報収集。30分ほどのあいだに余震が何度もあった。その度に窓ガラスがきしんで、嫌な音を立てていた。

揺れが少し落ち着いて、震源地やみんなの無事がわかったところで一度眠ることにした。この時もそうだし次の日もその次の日も、眠るのがすごく怖かった。いつ、もっと大きい揺れが来るのかわからない恐怖。

 

 

 

目が覚めても当然電気は復旧してない上、携帯の電波状況はどんどん悪くなっていく。充電も減る一方で八方塞がりだった。そんな中、かろうじて電波が繋がっていたタイミングで見れた80KIDZ・Ali&さんの地震を心配するツイートと、それに反応したわたしへのリプライ。わたしは本当は、金曜から東京に行って、土曜には渋谷で80KIDZの10周年ライブを見る予定だった。地震が起きたのは木曜未明。電気の復旧はいつになるかわからない。空港を始めとした各交通機関がいつ動き出すかもわからない。冷静に考えて、諦めるしかない状況だった。Ali&さんからのリプライを見ていたら、優しさがうれしい気持ちと同時にこみ上げる悲しさに打ちのめされて情けないと思いつつもぐずぐず泣きじゃくってしまった。ライブのチケットも、飛行機のチケットも、ホテルの予約も、バイトの休みも、ライブに向かえる元気な体も全部あるのに。そんなことをしていたら母親に一喝される。「泣いてる暇があるなら荷造りだけでもしておきなさい」仕事中の父親は隙を見て飛びそうな飛行機を調べては家族LINEに送ってくれた。いつこの状況がよくなるのか分からない、もしかするとまだ悪くなるかもしれない、そんな中で両親はわたしを無理矢理にでも東京に送り出してくれた。

 

 

 

信号が動いているところとまだ使えないところはまちまちで、人々は譲り合ったり、警備員さんに誘導されたりしながらそれぞれの目的地に向かっていた。ガソリンスタンドには長蛇の列。コンビニの棚はガラガラ。新千歳空港では毛布にくるまって床に横たわり、一晩を過ごした。わたしの周りには怪我人や家財が被害を受けた人などはいなかったけれど、間違いなく私たちは被災者だった。日本の、世界のどこかで自然災害や痛ましい事件が起きたとき、わたしはいつも何も発言できなかった。“○○の皆さん大丈夫ですか?心配です。”そんなことSNSに書き込むだけでなにも出来ないなんて、無責任だと思っていたから。でも、いざ自分が当事者になってみれば、知らない人の言葉でも本当に嬉しかった。少しでも知っている人の言葉なら尚更。ありがとう、頑張って生きる、と、心の底から思った。心配してくれる本州の人たち、同じ境遇に置かれている北海道の人たち、一人じゃないということはこんなに暖かいことなんだと実感した。

 

 

 

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東京は馬鹿みたいに暑く、馬鹿みたいに賑やかで、まるで違う世界に来たみたいだった。今わたしの地元で起きていることが夢なのか、この当たり前すぎる日常が夢なのか、どちらも現実離れしていた。ライブが終わって携帯を見たら、わたしの家もやっと電気が復旧したという連絡が入っていた。安心した。

 

 

札幌に戻った三日後、父と母と厚真へボランティアに行った。土砂崩れで泥だらけのひび割れた道路、根こそぎ倒れた木々、崩れた家屋、自然の力を思い知った。常に自然が身近にある暮らしで自然の凄さというものはよく知っているつもりだったけれど、ここまで明確に恐怖を感じる現実を目の当たりにするのは初めてだった。

 


ボランティアに行ったって、わたしはすこし手伝わせていただいただけであって、被災地の方々の力になれた!なんて思えない。こんな文章をつらつら書くことだって別に何も生み出さない。もう嫌だと言っても地震は起きるし、台風も来るし、豪雨だって降る。私たちはただそのことを忘れずに備えておくことしか出来ない。そして悔いのないように生きること。どっちも面倒くさくて普段は後回しにしてしまいがちだけれど、自らへの戒めも込めて、ちょうど1年に合わせてここに形として残しておく。

 

 

 

dawn

 

 

『遅れた飛行機で 朝焼けみたいな夕暮れ 街のあかり見ながら 好きな人のこと考えて聞く 天国 が良すぎて半泣き』

 


iPhoneのメモを遡ったら出てきたいつかのわたしのつぶやき。忘れもしない4月5日のこと。

あの日から今まで、言葉にし切れないくらい色々なことがあった。振り返ると情緒の洪水。ひとつひとつ手に取って、改めて向き合うにはもう少し時間が必要だなと思う。


下半期が終わったからといって、何かが変わるわけでも、終わるわけでも、始まるわけでもない。

でも、久しぶりに聞いた『天国 / 山田大介』がやっぱり沁みて、この漠然とした気持ちを漠然としたまま形にしておきたくなってしまったので。

 


誰かに対して幸せになってほしいと願うこと、自分が幸せにできたらと思うこと、笑っていてほしいと願うこと、笑わせたいと思うこと。

そんな心の動きを、皆はなんて呼ぶんだろう。

エゴとか、自惚れとか、勘違いとか、もしかしたら愛とか、いろんな単語が泡のように浮かんでは消えていく。

矢印の方向だってたくさんあって、ただ今ここにある情動だけが事実なのに、どうしても名前や正解を求めてしまうから落ち着かない。愚かだってわかっていても、なかなか止められないけれど、まあ、無理して止める必要もないか

 

 

きっと一生こういうことを考えて生きてくんだろうな。

 

 

もっと器用に、うまく、それなりに生きれたらなんて思うたび、すぐに撤回して、苦しくてもこの人生がいいと唇きゅっと結び直して、前向いて、ここまで来たので。まだ20歳のくせに悟ったような顔して。でもいつ死ぬか分からないし。一日一日を悔いなく、なんて実際無理な話でも、せめて好きだと思う人、信頼できる人、尊敬する人に対してくらいは誠実でいたい。

頑張ろ。

 

 

 

 

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天国

天国