euphoria

音楽と人生と情緒

2019/06/01 ヒトリエ wowaka追悼会

 

 

wowakaさんがいなくなって、約2ヶ月が経った。

まだたった2ヶ月。

何度も泣いたし、行く予定だったライブは中止になったし、“wowakaさんはもういない”という事実はぼんやりと理解していたけれど、それが実際どういうことなのか、ずっとよく分からないでいた。

 


本来ツアーファイナルだったはずの6月1日 新木場STUDIO COAST、『追悼会』と題されたそれは何が行われるのか告知されないまま当日になった。ライブハウスを貸し切っているわけだから、メンバーが出てきて一言解散しますやしませんと言って終わり、ではない気がするけれど、wowakaさんがいない中演奏するヒトリエの図は想像もできないし、何をするのか、全く予想できないまま。

wowakaさんの歌無しにヒトリエは成り立たない。

これまでの録音を3人の生演奏に合わせてライブをするのかとか、絆を築いてきたバンドのボーカリストをゲストで迎えるのかとか、そんなことも考えてみたり。なにもかも全く分からなかったけれど、わたしの中に行かないという選択肢はなく、開演5分前、緊張と、混乱と、楽しみと、悲しみと、色んな感情が綯い交ぜになった心で いつも通りの下手、3列目に立っていた。

 

 

 


幕が開いて、そこには普段通りの4人分のセッティング。ステージ後ろの壁に映し出されたのは2017年のIKIツアーファイナル、新木場STUDIO COAST公演より、『ワンミーツハー』と『目眩』のライブ映像。

 

 

映像の中のwowakaさんが「新木場いけますか!」と、今日ここにいる私たちに問いかける。

 


ライブ中のwowakaさんの、誰よりもきらきらした顔が大好き。

その隣でギターを鳴かせて歪ませて暴れるのはシノダだし、

溌剌とそして的確にバンドを支えるドラムを叩くのはゆーまおだし、

クールなふりして誰よりも感情豊かな音を出すベーシストはイガラシさんで、

その4人のヒトリエが大好きだってこと、もう数え切れないくらい何度目かの再確認。

 

そして、IKIツアーはわたしが初めて行ったヒトリエのライブであり、人生においても五本の指に入るくらい印象に残っているライブ。

ヒトリエがわたしの“大好きなバンド”になった日と地続きの彼らに、お別れの日である今日、初めて出会う。

 

 

 


映像が終わって、照明が落ちた場内にはみんなの泣き声だけが響いていた。

全員が立ち尽くしている中、青いライトが点滅して会場SEが流れ出した。いつものライブのように。

ああ、“今日のヒトリエ”が始まるんだって、悲しい気持ちで冷えた血にふつふつと体温が戻ってくる。

 

ステージの真ん中でwowakaさんのギターを掲げ、それから定位置についたシノダが着ているのは綺麗な花柄のモノトーンのシャツ。わたしはTシャツでライブをするシノダしか見たことがなかったから、どうしてもそこにリーダーの影を重ねてしまう。


目の前には、わたしのベースヒーローが ヒトリエのイガラシ として立っている。これから先、他のバンドのサポートベーシストとしては見れても、もうヒトリエで演奏しているところは見れないかもしれないと思っていた、イガラシさんが。

 

 

 

「wowakaが信頼してくれた3人で、ステージに立つ日だと思いました」

 

 

 

シノダのその言葉ひとつに滲む覚悟、悲しみ、愛、誇り、不安、全部わたしには想像もできないような深さで。泣いちゃいそうだ、って呟いてから、

 

ヒトリエですよろしく、どうぞ」

 

何度も聞いた、リーダーが告げるライブのはじまりの合図。

 


少し躊躇うように、それでも言いきったシノダが涙声でポラリスを歌い始めた瞬間、もともと流れていた涙がさらに堰を切ったように溢れ出た。

 

ギターひとつでワンフレーズを歌い上げて、全パートが合流した瞬間、理解する。

 

wowakaさんはいなくなってしまった。

 

明らかにひとつ足りない音、ぽっかり空いたセンターマイク。

 

それでもシノダが歌って、3人で演奏するという、今のヒトリエの決意に心がふるえて、悲しいし格好いいしで涙が止まらなかった。

 

 

 


曲が終わって、またフロアに満ちたすすり泣きの声を遮るように聞き覚えのあるイントロが始まる。これは『センスレスワンダー』のライブアレンジだってみんな分かってるんだけど、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッってキメのあと、本来のセンスレスのイントロが始まったところで一斉に歓声を上げるファンたちの一体感、いつも通りのヒトリエのライブで、高揚が“悲しい”の感情を呑み込んでゆく。

 

 

シノダの刃物みたいなギター、そこにイガラシさんのベースが乗る。本来ならイガラシさんの出番じゃないはずのパート。見たことのない弾き方。

 

そのときは初めて見る弾き方とフレーズが格好よすぎて、あんぐり口を開けて興奮していたんだけど、ライブ後に冷静になって、あれは本来wowakaさんがシノダと掛け合うギターパートだったということに気がついて呆然とした。

 

 

 

『SLEEPWALK』でシノダは「慣れないけど」って言いながらハンドマイクで歌った。慣れないけど、もなにも初めてなのに、リーダーがよくやる歩き回ってくねくね踊るのを再現…まではいかなくともできるだけそれに近いことをしようとしてくれていたこと、そしてイガラシさんのところへ歩み寄って行って、控えめに蹴り飛ばされるという茶番で“いつものヒトリエ”らしい部分を演出してくれたこと、ほんとうに優しくて困る。

 


「イガラシくんいつものやっちゃって」から食い気味のスラップ、もう二度と見れないと思っていた『踊るマネキン、歌う阿呆』前の爆裂ベースソロ。そのまま『トーキーダンス』に続く下手ファン殺しの流れは、わたしが4人のヒトリエを見た最後のライブ、nexUs札幌編と同じであのときの興奮を思い出す。

大好きなバンドの、大好きな曲の、大好きなフレーズを、大好きなベーシストが目の前で弾いている。

こんなの奇跡みたいなことだって知っていたけれど、あの日はやっぱり、今までとはまったく比にならない重さでそれを感じた。

 

 


wowakaさんがいなくなって以来、『アンノウンマザーグース』の合唱パートを聞くだけでいつも泣いてしまう。歌うなんて尚更。でも、あの時は違った。wowakaさんのいないコーストで、わたしはただ精一杯、出せるだけの大声で歌った。不思議と悲しくはなかった。夢中だった。

天国まで届くなんて残された側の気休めの綺麗事かもしれないけれど、それでも、あの場所で、全員で声を張り上げることで、わたしは確かに救われたような気がした。受け入れて、前に進める気がした。

 

 

 

 

マイベースヒーロー、イガラシさんはいつか「ベースのフレーズひとつでこんなにも高揚できるんだ!」って魔法をわたしに教えてくれた。

あの日、イガラシさんは「ベースのフレーズひとつでこんなに涙が出るんだ」って また初めての感覚をわたしに刻みつけた。

弦が切れそうなくらいに、やりきれない気持ちを全部ぶつけるみたいに、苦しそうに弾く『青』のすべてがどこまでも美しくて、哀しくて、涙が出た。

 

 

ライブ中、叫び散らすシノダや笑顔でふらふら最前列に突っ込んでくるwowakaさんとは対照的に、イガラシさんはいつだって余裕あるみたいな空気、一歩引いてる雰囲気で腹立つくらい格好つけていて、わたしはそれが好きじゃなかった。何考えてるのか分からない冷たい目でたまにフロアを見下して、それに沸いちゃう自分も悔しいし。(ここは笑うところ)


でも、今回のライブにおいて、イガラシさんは一度だけ 私たちと目を合わせようとした。確かトーキーダンスの最後のサビ直前の《踊っていいよ》のあたり。いつもは下手を“見渡す”そのひとが、確実に、ひとりひとりの顔を見つめようとしていた。

 

抑えきれない感情を湛えた目で。初めて見る色の目で。

 

あの数秒間、本当に身勝手ながら、やりきれなさや悲しさや寂しさという同じ感情を共有できたような、そんな気持ちになってしまった。普段は絶対に私たちとの一定の距離を崩さない彼に対して。

こんなに心が近いところにあるイガラシさんを見る日が来るなんて、思いもしなかった。

 


結局あの日もイガラシさんは一言も喋らなかった。手を合わせて頭を下げて、誰よりも早くステージを降りた。

でも、それは淡白だからじゃない。

演奏する姿を見れば、その音を聞けば、全部痛いほどにわかって、今までもずっとそうだったことを改めて思い知って、わたしはただひたすらに あの人が、あの人たちが少しずつでも息がしやすくなっていくよう、祈ることしかできない。

 

 

 

 


私たちよりもずっと苦しいはずのメンバーやスタッフの皆さんが追悼会の開催を素早く決めてくれたこと、それだけですごいと思う。

さらに、3人だけで今できるすべてをやり切ると決めたヒトリエの強さと愛に、ひたすら感謝と尊敬と愛が止まらなかった。

wowakaさんでしか成り立たないと思っていたヒトリエの歌を歌いきったシノダ、シノダの分のコーラスを引き受けるゆーまお、異なる楽器でwowakaさんの穴を埋めるイガラシさん。

リーダーの音はもう聞けなくても、ヒトリエヒトリエであれるということをあの場にいる全員が知った。

きっと本人たちもそうだったんじゃないかなんて勝手に思う。

演奏がどうなるかも、ファンがどんな反応をするかも分からない中、それでもやり切る、進む選択肢を取って、3人でスタジオに入って、ステージに立ってくれた彼らは本当に本当に格好いいし、どこまでも優しいし、ひたすら、感謝が止まらない。ありがとう以上に伝えたい言葉が見当たらない。

 

 

wowakaさんを愛した全ての人が、wowakaさんはいなくなってしまったこと、そして自分たちの生活はまだ続くこと、を受け入れるための、夢の中のような肌触りの空間だった。

 

東京から地元へ帰り、いつも通りの月曜を迎えて、ふと、wowakaさんへ抱いていた“悲しい”の感情が“寂しい”に変わっていることを自覚した。

 

きっといつかまた会えるから、その時まで寂しいだけ。

ずっと大好きなロックバンド、ヒトリエ、ありがとう。

 

 

 

 

 

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