euphoria

音楽と人生と情緒

2018年9月6日と数日間のこと

 

ガタガタ揺れる視界の中、ベッドで上体を起こしたまんま固まったわたしは寝惚けた頭で「死ぬのかな」と思っていた。揺れが収まったあと、親に言われるがままパジャマから暖かい服に着替えてリュックに予備の着替えを詰めた。その他緊急用の荷造りをしながら、もしかしたらもう2度とこの家には帰ってこられなくなるかもしれない、と結構真面目に思った。そんな予感が現実的に迫るくらいの状況だった。小さい頃、もしも家が火事になったりしたらなにを持ち出そう、とよく考えていた。19歳になったわたしは自分の大好きなCDやら小説やら漫画やらが並んだ本棚を眺めながら「最悪全部捨てていけるな」と思った。我ながら意外だった。何ひとつ捨ててはいきたくないつもりだったけれど、いざそんな局面を迎えてみると、ここにある“モノ”が消えたって、そのモノに宿る思い出や気持ちまでが消えるわけではないからなーと感じていて、自分のことながら少し驚いた。とりあえず、これは心の支えとして一生必要、と思う盤だけ何枚かリュックに入れた。わたしの住んでいるところは揺れが収まった時点で既に停電していたから、この間ずっと暗闇。iPhoneのライトで部屋を照らしながら作業をしていた。友だちやバイト先の店長から安否確認のLINE。テレビはつかないのでTwitterで情報収集。30分ほどのあいだに余震が何度もあった。その度に窓ガラスがきしんで、嫌な音を立てていた。

揺れが少し落ち着いて、震源地やみんなの無事がわかったところで一度眠ることにした。この時もそうだし次の日もその次の日も、眠るのがすごく怖かった。いつ、もっと大きい揺れが来るのかわからない恐怖。

 

 

 

目が覚めても当然電気は復旧してない上、携帯の電波状況はどんどん悪くなっていく。充電も減る一方で八方塞がりだった。そんな中、かろうじて電波が繋がっていたタイミングで見れた80KIDZ・Ali&さんの地震を心配するツイートと、それに反応したわたしへのリプライ。わたしは本当は、金曜から東京に行って、土曜には渋谷で80KIDZの10周年ライブを見る予定だった。地震が起きたのは木曜未明。電気の復旧はいつになるかわからない。空港を始めとした各交通機関がいつ動き出すかもわからない。冷静に考えて、諦めるしかない状況だった。Ali&さんからのリプライを見ていたら、優しさがうれしい気持ちと同時にこみ上げる悲しさに打ちのめされて情けないと思いつつもぐずぐず泣きじゃくってしまった。ライブのチケットも、飛行機のチケットも、ホテルの予約も、バイトの休みも、ライブに向かえる元気な体も全部あるのに。そんなことをしていたら母親に一喝される。「泣いてる暇があるなら荷造りだけでもしておきなさい」仕事中の父親は隙を見て飛びそうな飛行機を調べては家族LINEに送ってくれた。いつこの状況がよくなるのか分からない、もしかするとまだ悪くなるかもしれない、そんな中で両親はわたしを無理矢理にでも東京に送り出してくれた。

 

 

 

信号が動いているところとまだ使えないところはまちまちで、人々は譲り合ったり、警備員さんに誘導されたりしながらそれぞれの目的地に向かっていた。ガソリンスタンドには長蛇の列。コンビニの棚はガラガラ。新千歳空港では毛布にくるまって床に横たわり、一晩を過ごした。わたしの周りには怪我人や家財が被害を受けた人などはいなかったけれど、間違いなく私たちは被災者だった。日本の、世界のどこかで自然災害や痛ましい事件が起きたとき、わたしはいつも何も発言できなかった。“○○の皆さん大丈夫ですか?心配です。”そんなことSNSに書き込むだけでなにも出来ないなんて、無責任だと思っていたから。でも、いざ自分が当事者になってみれば、知らない人の言葉でも本当に嬉しかった。少しでも知っている人の言葉なら尚更。ありがとう、頑張って生きる、と、心の底から思った。心配してくれる本州の人たち、同じ境遇に置かれている北海道の人たち、一人じゃないということはこんなに暖かいことなんだと実感した。

 

 

 

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東京は馬鹿みたいに暑く、馬鹿みたいに賑やかで、まるで違う世界に来たみたいだった。今わたしの地元で起きていることが夢なのか、この当たり前すぎる日常が夢なのか、どちらも現実離れしていた。ライブが終わって携帯を見たら、わたしの家もやっと電気が復旧したという連絡が入っていた。安心した。

 

 

札幌に戻った三日後、父と母と厚真へボランティアに行った。土砂崩れで泥だらけのひび割れた道路、根こそぎ倒れた木々、崩れた家屋、自然の力を思い知った。常に自然が身近にある暮らしで自然の凄さというものはよく知っているつもりだったけれど、ここまで明確に恐怖を感じる現実を目の当たりにするのは初めてだった。

 


ボランティアに行ったって、わたしはすこし手伝わせていただいただけであって、被災地の方々の力になれた!なんて思えない。こんな文章をつらつら書くことだって別に何も生み出さない。もう嫌だと言っても地震は起きるし、台風も来るし、豪雨だって降る。私たちはただそのことを忘れずに備えておくことしか出来ない。そして悔いのないように生きること。どっちも面倒くさくて普段は後回しにしてしまいがちだけれど、自らへの戒めも込めて、ちょうど1年に合わせてここに形として残しておく。