euphoria

音楽と人生と情緒

JABBA DA FOOTBALL CLUBはオレたちを傍観者では終わらせない

 


2019年6月5日、わたしのセカイイチ推しグループことJABBA DA FOOTBALL CLUBが、なんと、ついに、メジャーデビューしました!!!!!!!!!!!!

 


とりあえず聞いて

 


 


再生ボタンを押したが最後、ROVINさんの《ハロハロボンジュールこんにちは》に惹き込まれ、そのままなだれ込むサビで「え?」となったらもう1曲あっという間に聞き終えてるはず。

再生ボタンをスルーしようとしたあなたはまだ間に合うのでとりあえず聞いて。いま!!!!(圧)

 


グループの今後を左右するかもしれない、めちゃくちゃ大事なメジャーデビューシングルの、めちゃくちゃ大事なサビが、ドヴォルザークサンプリングの「オーオーオーオーオオー」と「マジのガチだぜ」で成り立ってる。そんなことある?よく考えてみると、めちゃくちゃ大事な歌い出しもいろんな言い方をしてるだけで実質「こんにちは」だけで成り立ってる。そんなことある?

 

 

 

これはメジャーデビュー前最後のシングル、ジャバの方向性を確固たるものにした1曲。

全編アメリカ撮影のPVも気合い入ってて格好いい。

 


 


自分たちのスタイルを模索した結果のサビが、「イエーーーーーーーー!!!!!」って、そんなことある?

 

 

いやあるんだよな〜〜〜〜〜あるんですよ。お聞きの通り。この勢いで曲を成り立たせる勇気がすごいんだけど、もっとすごいのはそれで下らなくないところ。薄っぺらくはないところ。

なんでそうなるかって、それは4人がいつだって本気だから。ふざけてはいるかもしれないけど、それも本気でやってるから。

 

本気かどうかなんて分かんなくね?って、リリック聞いて、ライブ行けば分かるんですよ。ジャバはどこにも嘘がない。ていうか嘘つくならもっと格好いい嘘つくと思うんですよね。嘘ついて、自分をよく見せようとした結果が「マジのガチだぜ」と「イエーーーー!」になる人の本心なら逆に知りたい。計算高さなどという単語とは程遠い語彙。マジのガチ。

ジャバはいつだって本心曝け出し祭り。それが、響く人の心にはマジで響く。そして、気がついたらこっちまで嘘をつけなくなっている。双方共に曝け出し祭り。ジャバと私たちの間にあるのは、ひたすら単純で明快なコミュニケーション。

 

 

これはライブ会場で直接話す、とかそういうことだけじゃなくて。ジャバ聞いて、何らかの感想を持った時点でもう私たちとジャバとのコミュニケーションは始まっているわけで。

上に挙げた2曲だけを取ってみても、たぶん、あれを聞いてなんの感想も持たないっていうのは無理なんじゃないかと思う。「何これ(笑)」って笑うのも、「俺は好きじゃない」って思うのも、「他の曲も聞いてみたい!」って動き出すのも自由だけど、結局ぜんぶジャバに対して能動的に心を動かしたということに変わりない。ジャバには、“ただスルー”はさせない力がある。

 

 

そして、何らかの感想を抱き、結果的に「好き!」に傾いた人は大体それを表に出さずにはいられなくなる。人に話したくなる。SNSにシェアしたくなる。これはジャバの気さくさがなせる技な気がする。友だちに「この間メシ行った友達がさ〜」なんて別の友だちの話をするくらいの気楽さ、何気なさで口に出していきたくなる。なお、その軽いノリでツイッターで呟いて公式とメンバー(エゴサ部隊:ASHTRAY, BAOBAB MC)から即いいねが飛んできてビビるところまでセット。

 

 

ジャバ側も意識的に『ファンを巻き込む、動かす、一緒に何かを作り上げる』アクションを常に起こしている。自分の好きなデザインのジャバTを選んでプリントできる新代田YACHTでのイベントやファンが撮影を行うPVの制作(DON'T WORRY, BE HAPPY で検索!)、ハッシュタグ「#マジのガチだぜ」の普及への取り組みなどなどこの辺はまあいいんだけど、今現在実施真っ最中の“住み込んじゃってすいませんf(^^; ” って企画なんて、《宿無しツテ無しのメンバーが単身で1ヶ月間名古屋/大阪へ住み込み、ツアーのチケットを手売りで売り切り次第東京へ戻って来れる》という、ファンやその周りの人の協力なしには成り立たない鬼企画。その地域に住んでるジャバファンは動かずにはいられない。さすがに強引。しかし、メンバーも、ファンも、今のところ超楽しんでるのがガチでやばい。これが、ジャバ

 

 

 

ジャバを好きになってから今日まで、素敵なファンアートを描く人、グッズを自作する人、CDのジャケットをアイシングクッキーで表現する人、韻解説のブログを書く人、ジャバを推しすぎてフリーペーパーを発行するタワレコの店員さん、いろんな形で行動を起こす人を見た。

好きになってしまうと、何か動き出したくなるところ。それがわたしの思うジャバの魅力のひとつ。

 

ジャバが好き、こいつらいいな、なんて一度でも思ったなら、もう傍観者ではいられなくなってしまう。“ジャバごと=自分ごと”になってしまう。

そうやってたくさんの人を巻き込んで、愛されてきた結果がメジャーデビューなんだと思ってる。

 

 

そしてなにより、何か動き出したくなること、傍観者じゃ終われないこと、そのどちらも、ジャバに対してだけじゃない。自分に対しても同じことが起きる。等身大でバカ正直で真っ直ぐで嘘のなさすぎる曲を聞いていると、メンバーを見ていると、「わたしもやりたいことがあったはず」と思い出したり、「今から新しいこと始めてみてもいいのかも」って気がついたりする。

わたしはジャバに出会ってから、彼らに何度も背中を押された。いや、うーん、背中を押されるというより、やっちゃおーぜ!って肩を組まれるような感覚。人生の転機になりそうなくらいの大きなことから、今日はあの店寄ってから帰ろうかな〜みたいな小さなことまで。

 

だって、転んじゃったってIt's OKなんだもんよ。

 

 

 

 

 

長々書いてしまったけれど結局何が言いたいかというと、『新世界』を聞いた瞬間、あなたも新世界への扉が開いちまうんだぜってこと!!この小さなきっかけから、新しいストーリーが始まるってこと!改めて、『新世界』を聞いてほしい!いいと思ったら、CDを買うんだ!そしてライブへ行くんだ!巻き込まれて、巻き込んで、これまでよりちょっと楽しい毎日を生きようや!そういうこと!よろしく!

 

ジャバ、メジャーデビューおめでとう!!

 

 

ジャッッッ!!!!!!!!!!

 

 

 

f:id:amu1o9:20190607123013j:image

 

 

 

 

2019/06/01 ヒトリエ wowaka追悼会

 

 

wowakaさんがいなくなって、約2ヶ月が経った。

まだたった2ヶ月。

何度も泣いたし、行く予定だったライブは中止になったし、“wowakaさんはもういない”という事実はぼんやりと理解していたけれど、それが実際どういうことなのか、ずっとよく分からないでいた。

 


本来ツアーファイナルだったはずの6月1日 新木場STUDIO COAST、『追悼会』と題されたそれは何が行われるのか告知されないまま当日になった。ライブハウスを貸し切っているわけだから、メンバーが出てきて一言解散しますやしませんと言って終わり、ではない気がするけれど、wowakaさんがいない中演奏するヒトリエの図は想像もできないし、何をするのか、全く予想できないまま。

wowakaさんの歌無しにヒトリエは成り立たない。

これまでの録音を3人の生演奏に合わせてライブをするのかとか、絆を築いてきたバンドのボーカリストをゲストで迎えるのかとか、そんなことも考えてみたり。なにもかも全く分からなかったけれど、わたしの中に行かないという選択肢はなく、開演5分前、緊張と、混乱と、楽しみと、悲しみと、色んな感情が綯い交ぜになった心で いつも通りの下手、3列目に立っていた。

 

 

 


幕が開いて、そこには普段通りの4人分のセッティング。ステージ後ろの壁に映し出されたのは2017年のIKIツアーファイナル、新木場STUDIO COAST公演より、『ワンミーツハー』と『目眩』のライブ映像。

 

 

映像の中のwowakaさんが「新木場いけますか!」と、今日ここにいる私たちに問いかける。

 


ライブ中のwowakaさんの、誰よりもきらきらした顔が大好き。

その隣でギターを鳴かせて歪ませて暴れるのはシノダだし、

溌剌とそして的確にバンドを支えるドラムを叩くのはゆーまおだし、

クールなふりして誰よりも感情豊かな音を出すベーシストはイガラシさんで、

その4人のヒトリエが大好きだってこと、もう数え切れないくらい何度目かの再確認。

 

そして、IKIツアーはわたしが初めて行ったヒトリエのライブであり、人生においても五本の指に入るくらい印象に残っているライブ。

ヒトリエがわたしの“大好きなバンド”になった日と地続きの彼らに、お別れの日である今日、初めて出会う。

 

 

 


映像が終わって、照明が落ちた場内にはみんなの泣き声だけが響いていた。

全員が立ち尽くしている中、青いライトが点滅して会場SEが流れ出した。いつものライブのように。

ああ、“今日のヒトリエ”が始まるんだって、悲しい気持ちで冷えた血にふつふつと体温が戻ってくる。

 

ステージの真ん中でwowakaさんのギターを掲げ、それから定位置についたシノダが着ているのは綺麗な花柄のモノトーンのシャツ。わたしはTシャツでライブをするシノダしか見たことがなかったから、どうしてもそこにリーダーの影を重ねてしまう。


目の前には、わたしのベースヒーローが ヒトリエのイガラシ として立っている。これから先、他のバンドのサポートベーシストとしては見れても、もうヒトリエで演奏しているところは見れないかもしれないと思っていた、イガラシさんが。

 

 

 

「wowakaが信頼してくれた3人で、ステージに立つ日だと思いました」

 

 

 

シノダのその言葉ひとつに滲む覚悟、悲しみ、愛、誇り、不安、全部わたしには想像もできないような深さで。泣いちゃいそうだ、って呟いてから、

 

ヒトリエですよろしく、どうぞ」

 

何度も聞いた、リーダーが告げるライブのはじまりの合図。

 


少し躊躇うように、それでも言いきったシノダが涙声でポラリスを歌い始めた瞬間、もともと流れていた涙がさらに堰を切ったように溢れ出た。

 

ギターひとつでワンフレーズを歌い上げて、全パートが合流した瞬間、理解する。

 

wowakaさんはいなくなってしまった。

 

明らかにひとつ足りない音、ぽっかり空いたセンターマイク。

 

それでもシノダが歌って、3人で演奏するという、今のヒトリエの決意に心がふるえて、悲しいし格好いいしで涙が止まらなかった。

 

 

 


曲が終わって、またフロアに満ちたすすり泣きの声を遮るように聞き覚えのあるイントロが始まる。これは『センスレスワンダー』のライブアレンジだってみんな分かってるんだけど、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッってキメのあと、本来のセンスレスのイントロが始まったところで一斉に歓声を上げるファンたちの一体感、いつも通りのヒトリエのライブで、高揚が“悲しい”の感情を呑み込んでゆく。

 

 

シノダの刃物みたいなギター、そこにイガラシさんのベースが乗る。本来ならイガラシさんの出番じゃないはずのパート。見たことのない弾き方。

 

そのときは初めて見る弾き方とフレーズが格好よすぎて、あんぐり口を開けて興奮していたんだけど、ライブ後に冷静になって、あれは本来wowakaさんがシノダと掛け合うギターパートだったということに気がついて呆然とした。

 

 

 

『SLEEPWALK』でシノダは「慣れないけど」って言いながらハンドマイクで歌った。慣れないけど、もなにも初めてなのに、リーダーがよくやる歩き回ってくねくね踊るのを再現…まではいかなくともできるだけそれに近いことをしようとしてくれていたこと、そしてイガラシさんのところへ歩み寄って行って、控えめに蹴り飛ばされるという茶番で“いつものヒトリエ”らしい部分を演出してくれたこと、ほんとうに優しくて困る。

 


「イガラシくんいつものやっちゃって」から食い気味のスラップ、もう二度と見れないと思っていた『踊るマネキン、歌う阿呆』前の爆裂ベースソロ。そのまま『トーキーダンス』に続く下手ファン殺しの流れは、わたしが4人のヒトリエを見た最後のライブ、nexUs札幌編と同じであのときの興奮を思い出す。

大好きなバンドの、大好きな曲の、大好きなフレーズを、大好きなベーシストが目の前で弾いている。

こんなの奇跡みたいなことだって知っていたけれど、あの日はやっぱり、今までとはまったく比にならない重さでそれを感じた。

 

 


wowakaさんがいなくなって以来、『アンノウンマザーグース』の合唱パートを聞くだけでいつも泣いてしまう。歌うなんて尚更。でも、あの時は違った。wowakaさんのいないコーストで、わたしはただ精一杯、出せるだけの大声で歌った。不思議と悲しくはなかった。夢中だった。

天国まで届くなんて残された側の気休めの綺麗事かもしれないけれど、それでも、あの場所で、全員で声を張り上げることで、わたしは確かに救われたような気がした。受け入れて、前に進める気がした。

 

 

 

 

マイベースヒーロー、イガラシさんはいつか「ベースのフレーズひとつでこんなにも高揚できるんだ!」って魔法をわたしに教えてくれた。

あの日、イガラシさんは「ベースのフレーズひとつでこんなに涙が出るんだ」って また初めての感覚をわたしに刻みつけた。

弦が切れそうなくらいに、やりきれない気持ちを全部ぶつけるみたいに、苦しそうに弾く『青』のすべてがどこまでも美しくて、哀しくて、涙が出た。

 

 

ライブ中、叫び散らすシノダや笑顔でふらふら最前列に突っ込んでくるwowakaさんとは対照的に、イガラシさんはいつだって余裕あるみたいな空気、一歩引いてる雰囲気で腹立つくらい格好つけていて、わたしはそれが好きじゃなかった。何考えてるのか分からない冷たい目でたまにフロアを見下して、それに沸いちゃう自分も悔しいし。(ここは笑うところ)


でも、今回のライブにおいて、イガラシさんは一度だけ 私たちと目を合わせようとした。確かトーキーダンスの最後のサビ直前の《踊っていいよ》のあたり。いつもは下手を“見渡す”そのひとが、確実に、ひとりひとりの顔を見つめようとしていた。

 

抑えきれない感情を湛えた目で。初めて見る色の目で。

 

あの数秒間、本当に身勝手ながら、やりきれなさや悲しさや寂しさという同じ感情を共有できたような、そんな気持ちになってしまった。普段は絶対に私たちとの一定の距離を崩さない彼に対して。

こんなに心が近いところにあるイガラシさんを見る日が来るなんて、思いもしなかった。

 


結局あの日もイガラシさんは一言も喋らなかった。手を合わせて頭を下げて、誰よりも早くステージを降りた。

でも、それは淡白だからじゃない。

演奏する姿を見れば、その音を聞けば、全部痛いほどにわかって、今までもずっとそうだったことを改めて思い知って、わたしはただひたすらに あの人が、あの人たちが少しずつでも息がしやすくなっていくよう、祈ることしかできない。

 

 

 

 


私たちよりもずっと苦しいはずのメンバーやスタッフの皆さんが追悼会の開催を素早く決めてくれたこと、それだけですごいと思う。

さらに、3人だけで今できるすべてをやり切ると決めたヒトリエの強さと愛に、ひたすら感謝と尊敬と愛が止まらなかった。

wowakaさんでしか成り立たないと思っていたヒトリエの歌を歌いきったシノダ、シノダの分のコーラスを引き受けるゆーまお、異なる楽器でwowakaさんの穴を埋めるイガラシさん。

リーダーの音はもう聞けなくても、ヒトリエヒトリエであれるということをあの場にいる全員が知った。

きっと本人たちもそうだったんじゃないかなんて勝手に思う。

演奏がどうなるかも、ファンがどんな反応をするかも分からない中、それでもやり切る、進む選択肢を取って、3人でスタジオに入って、ステージに立ってくれた彼らは本当に本当に格好いいし、どこまでも優しいし、ひたすら、感謝が止まらない。ありがとう以上に伝えたい言葉が見当たらない。

 

 

wowakaさんを愛した全ての人が、wowakaさんはいなくなってしまったこと、そして自分たちの生活はまだ続くこと、を受け入れるための、夢の中のような肌触りの空間だった。

 

東京から地元へ帰り、いつも通りの月曜を迎えて、ふと、wowakaさんへ抱いていた“悲しい”の感情が“寂しい”に変わっていることを自覚した。

 

きっといつかまた会えるから、その時まで寂しいだけ。

ずっと大好きなロックバンド、ヒトリエ、ありがとう。

 

 

 

 

 

f:id:amu1o9:20190606121035j:image

 

 

みみなり

 

ライブ一週間前くらいからハチャメチャに楽しみでw.o.d.ばっか聞いてたし、ライブ見たら余韻にブチ殺されてw.o.d.しか聞けなくなってしまったし、マジで無限にw.o.d.聞いてる。w.o.d.と書いてダブリューオーディーと読むバンド名、略しようがないけどそのままw.o.d.って呼ぶのしつこくてなんかウケる

 

f:id:amu1o9:20190421142212j:image

 

 


もともと音源はそれなりに繰り返し聞いていたけれど、ライブに行って、まさかこんなに取り憑かれるとは思ってなかった。ライブ中、体が目を開けることを拒むあの感覚。

純粋に、音楽として好きな音楽を鳴らす人たちのライブに行くといつも目が開かなくなる。目閉じようって思って閉じてるわけじゃない。好きな人たちのライブなんだから当然ステージも見たい。でも、自分の中の深く深いところ、いちばん気持ちいいところまで落ちていく時には視覚情報なんて何も要らなくて、瞼が勝手に重くなる。視覚を除いた残りの四感で人が手に入れられる情報量は2割足らず。研ぎ澄ませたその2割と、脳みその中の無意識の領域に踏み込んで飛んでく天国。そこに辿り着くためのわたしの引き金はどうしても音楽らしいと最近分かってきた。そして、w.o.d.はわたしの引き金になるバンドだったということ。びっくりしたんだよほんとうに、そっち側だったのかお前はーーー!!と… ライブのクオリティ、アレンジ、そして自分との相性、そういうの全部、やっぱりライブに行ってみなきゃ分からないから。また最高に痺れる瞬間を味わってしまってひたすらに幸せなんです。

80KIDZ、The Cynical Store、D.A.N.そしてw.o.d. わたしのトリガーたちよ…

ジャバやビーバーやtetoは音楽とそこに付随するわたしの/あなたのストーリーでエモーションの海に溺れていくタイプのライブだからまた別もの。Crossfaithはさらに別、魔界枠

 

 


話が少し広がりすぎてしまった気がしてるけど、とにかくブッ飛びっぱなしの2日間だった。CARTHIEFSCHOOL→the hatch→w.o.d.の流れ、あんなんキマるしかない。3バンドとも出来ることなら週一で見たい。やっぱ嘘。そんなことしたらすり減ってしまう。夏が近づくと口癖になるあのセリフ、「RSRで見たい」これでいきましょう。まあカーシーフとハッチは我らが札幌のバンドだからたぶんすぐ見に行くんですけどね。夏までに少なくとも2回は見る気がしているんですけど。

 

 

大きい音で好きな音楽が鳴ってるってシンプルに最高です。ピュアなワクワクとドキドキとトキメキを忘れず追い風感じてような、いつだって!

 

 

 

 

🏞

 

 

自分は就活なんかで病まないタイプだと思ってた。なりたい自分とか、社会人とは何かとか、譲れないこととか、そういうことについて、他の同世代と比べて自分なりの答えがハッキリ出てる方だと思うから、ブレずに進んでいけると思ってた。胸を張って颯爽と。

別に、今、メンタルずたぼろになって全ての自信を喪失して塞ぎ込んでいるわけじゃない。相変わらず怖いものなし向かうところ敵なしの気持ちでいるけれど、それはただの楽観じゃない?もう手遅れなんじゃない?と立ち止まるわたしが、向かい風を感じかけたわたしをすぐ引き止める。リクルートスーツを着て、髪をぴったりまとめて、今日も面接受けてきた~って言うみんなを見るたび、心がざらつく。親友の「もう内定1つ出たんだ」って無邪気な笑顔を心から祝福すると同時に、胃の奥に重い塊がずしんと落ちる。そんな一瞬の積み重ねが、いままで通りご機嫌なはずのわたしの日常を揺るがす。悪化し続ける肌荒れに、深夜に襲うちくちくした胃痛に、それを誤魔化すための過食に、思ったよりも心が負担を受けてることを思い知る。最近、どうしても水のあるところへ行きたいのもここからきてるよなあと思う。毎日泣き暮れていた浪人期、攫われそうなくらいぎりぎりの水際で、雪溶けで激しく流れる地元の川をひたすら眺めたこととか、塾の数学の授業から逃げ出して、海のある町まで行って、日が沈むまで砂浜にいたこととかを思い出す。GWは滝か湖に行きたい。

 


2ヶ月後の自分がどうなっているのかまったく想像がつかないこと、 本当に恐ろしいけれど、やっぱりわくわくしてしまう自分もいる。自分の想像を越えていくことが大好きなので。内定もらってようが、全部落ちてようが、自分が心の底から笑えていればいい。普通や正解なんてどこにも誰にもない。自分が納得のできる道をゆくことが一番。

こんなふうに、病みきらないし割り切れもしない、すごく不安定な自分に振り回されてるここしばらく。ゆっくりしてえ~

 

 

 

海に行きたい

海に行きたい

  • lulu + Mikeneko Homeless + Shin Sakiura
  • エレクトロニック
  • ¥250

 

 

 

2019/04/06 OMAKE PARK

 

 

 

 


この衝撃から1ヶ月半。

事ある毎に「どうしてわたしはOMAKE PARKに行けないの??」と半ギレで過ごしていたら、急遽就活で東京に呼び出され、4日前に行けることになるっちゅ~ドラマチックが過ぎる展開。また人生の最大瞬間風速を更新してしまった。

 

 

迎えた当日、第1志望の企業の適性検査で見事にトチったわたしは絶望顔で半蔵門を彷徨ってた。会場近くの公園にとりあえず吸い寄せられ、咲き誇る桜を眺めて心を落ち着かせようとしたものの、凹みすぎてこれもうOMAKE PARK行けないよ今知り合いに会ったら秒で泣くよって冗談抜きで全力意気消沈。しかしもう終わったことは終わったことで、これから始まることは始まるんだから仕方ないって晴れない心引き摺りながら渋谷へ。空腹は人をダメにする!!とピザスライスに駆け込み、日の差す席で光合成をしながらシティガール気分を味わう。お腹がいっぱいになる頃にはわりと復活してるとこ、我ながら単純すぎて笑う。陽の光とおいしい食べ物は最強。これホント。

 

f:id:amu1o9:20190413102553j:image

 

ちょろいからラムコーク1杯でご機嫌になって、OMAKE PARK行くぞー!って80聞いたら足取りがどんどん軽くなる。恵比寿駅に荷物を預けていざ代官山UNITへ!

 

 


まるで天国 行ったことないけどそうでしょ (天国/山田大介より引用) って感じ。ひたすら。長丁場なのに再入場禁止ってしんど~!お腹も空くしどうしたらいいの~!なんてイベント前の心配は完全に杞憂。ノンストップでずっとライブやってるし全員好きな人だから基本的に休む隙がないしフロア抜けたら抜けたでそこらじゅうに好きな人がいるしまじでどこにいても幸せ。楽しいしかない。

てかあれをデイイベでやってくれるのはシンプルに神。YOSA&TAARで超踊って、歌って、ふとスマホ見たら18時代だったときの背徳感。優勝。次の日、冷静になってから自分のストーリーを見返したら #パーフェクトファイア🔥 熱唱してる声が入ってて即削除した。酔って更新したストーリーはだいたい朝起きて後悔する。

 

 


ヨサターで爆アゲからの80KIDZ、人生でいちばんってくらいに自我を手放してしまった。どんだけ飛び跳ねても頭振っても疲れなかった。80以上にわたしをブッ飛ばしてくれるアーティストってきっといないなーってそんな幸せを噛み締めながら爆発した。アドレナリン出まくってた。30分で全て使い切ってしまった。終わったあと、無。あのあと3日くらい首痛かった。

 

わたし「JUNさんにセトリもらいました!」

Ali&さん「よかったじゃ~ん何枚目?」

いやふつうに1枚目ですよって。夢でした。うれしい!!

 

f:id:amu1o9:20190413102724j:image

 

 

TAARさんはまだしも、Shinさんも80も基本インストだしギター持ってのライブだし、あの一日の中では結構異色だったと思う。でも超カマしてんじゃん!?OMAKEだけ目当てに来た人も喰らってんじゃね!?って超思ったんですけどどうだったんでしょう。わたしはPARKの女なので、みんな死ぬほど格好よかった気持ちよかったサイコー!しかないです。

あと知ってたけどShinさんが完璧最高人間すぎてわたしもTAARさんになるかと思った。きっと愛憎入り交じってからが本番。


 

 

 


TOKYO HEALTH CLUB『Hなギャル feat.kick a show』でまた来る夏が待ち遠しくなったり、BASI氏がド名曲『あなたには』のイントロでSIRUP『LOOP』を歌い上げていて爆笑したり、とにかくぜんぶ楽しんで迎えた大トリのジャバ!

 


名曲ノンストップMIXみたいな前のめりなライブ、力んでる感がちょっと伝わってきて愛しさを感じつつも、相変わらずめちゃくちゃに楽しかったのでメジャーデビュー発表までの記憶があんまりない。

メジャーデビューを発表するにあたり、俺たちやってやったぜ!!ってことよりも「俺たちはすげー恵まれてて。ラッキーで」って周囲への感謝が先に出てくるところも、「不安もめちゃくちゃあんのよ!」って言ってくれちゃうところも全部大好きだしどこまでもジャバらしい。初お披露目だった新曲『新世界』、メジャーデビューシングルがクラシックの大名曲サンプリングでサビは “ウォーウォー” と “マジのガチだぜ” で成り立ってるってマジでガチでやばくない??ちょう馬鹿。これは真面目に褒めてる。考えて考えて、その結果そこに辿り着くジャバが好き。単純が一番難しくて楽しくて格好いいぜ!さすがすぎって爆笑とともに、歌詞響くわメジャー嬉しいわで涙止まらなくなってほんとうに困った。あの日のジャバのムードや言葉とあの時の自分ががっちりハマりすぎたのもあってもうだめ。爆笑と号泣を繰り返しながら、「こんなに好きになれるものがあってわたしは幸せだ」って心の底から思ったこと、ものすんごい尊かった。

 

 


何かを好きでいられることって幸せで、好きなものやひとが増えるたび人生は豊かになると思ってる。好きの気持ちを何かに向けられるだけで満たされるのに、その対象に好きを伝えられるなんてことがあったら、それは贅沢の極み。いっっっちばん幸せ。しかしそのさらに先にずっといたOMAKE PARK。本当に、本当に、たくさん元気と勇気をもらった。幸せは人を強くする。わたしは全然できた人間じゃないけれど、わたしの大好きな人たちがわたしにくれた言葉や幸せな時間を思い出すと遠回りだけど自信がつくよ。いつも、音楽とその周りにいる優しくて格好いい人たちのおかげで強くなれる。怖いものなんて何もない。

 

 

わたし、逆に、OMAKE PARKに行けないままだったらどうなってただろう?って考えちゃうくらいの日だった。実際、週明けから辛いこと続きまくってるけど心がばらばらにならないでいられるのはあの日のおかげ。想像もしなかった嬉しいことと、考えもしなかった悲しいことの狭間で、情緒、ずっとぐちゃぐちゃだけど、、、

 

 

 

メジャーに行くということが一概にいいこと、というわけではないんだろうけれど、ジャバはメジャーのキャラであり器なこと、好きになった時からずっと知ってる。早くMステで見たいしドームで見たいな〜!

 

 

OMAKE CLUBに、卒業したジャバに、PARKに、ずっとずっと幸あれ!OMAKE PARKは最高!またあんな日がありますように!

 

 

 

 

 

俺らのリーダーとのこの写真、とってもとってもお気に入り えへ

 

f:id:amu1o9:20190413103754j:image

 

 

Little Cry Baby

 

 

訃報を聞いてから今に至るまで、とにかく言葉が溢れて止まらない。ヒトリエは間違いなくわたしの核を形成するバンドのひとつだった。それをひたすら痛感している。

 


ヒトリエが“大好きなバンド”になったのは『IKI』が出たとき。初めて聞いたときの高揚、やべー!!って気持ち、今でもはっきり思い出せる。高校の通学中だった。冬。興奮してすぐ音楽の趣味の合う友だちにLINEした。今すぐ聞いてって。それまでのヒトリエも好きだったけれど、ずっとわたしが聞きたかったのはこんなヒトリエだったんだって気がついた。ノータイムでリリースツアーのチケットも取った。

ライブがまた衝撃だった。音源はみっちり聞き込んできたつもりだったけれど、ライブハウスにいたのはわたしの全く知らないヒトリエだった。これまでライブに行かなかったことを強く後悔した。わたしにベースヒーローができた。こんなに格好いいライブをするバンドなのにチケットソールドしてないのなんておかしい!全員IKIツアー行け!てかIKI聞け!って勢いで文章を書いたりもした。

 

 

久しぶりに読んだら下手くそすぎて笑ってしまう。でも、わたしのヒトリエへの好きが詰まっていて少し涙が出た。わかる。全部分かる。

 

 


IKIでバンドとしてひとつの到達点に辿り着いたと思ったのに、変わり続けることを止めない彼らはいつまでも新しい扉を叩き続けていたし一枚一枚開いていた。IKI以降リリースされた『ai/SOlate』も『HOWLS』もぜんぶ最高だよ。曲も、バンドのスタンスもすべて。wowakaさんの絶対的な才能を大前提に、他の3人の個性も猛烈に混ざり合って 10×10×10×10=10000 って掛け算が次は 100×100×100×100=100000000 になるように、いつまでもどこまでも前に進んでいくバンド。ヒトリエのwowakaが好きで、ヒトリエのシノダが好きで、ヒトリエのゆーまおが好きで、ヒトリエのイガラシが好きだった。

 

 


ai/SOlateのリリースツアーでwowakaさんは「やっと愛を歌えるようになったよ」って、また一段階強くなった目で言っていた。誰よりもきらきらした顔で、幸せオーラを全身から放って、愛おしそうにフロアを見つめるwowakaさんが大好きだった。言葉、表情、動き、彼の全てに何一つ嘘がないところが大好きだった。もうヒトリエで曲を作れないこと、ライブが出来ないこと、きっとwowakaさんが一番悔しがっていると思う。表現するために生まれて、その時いちばん輝くいのちを持っていたひと。本人もそれを理解していて、何も隠さず全てさらけ出してくれる強いひと。ライブ、あと何度だって見たかった。この先、歳を重ねてライブをしなくなったとしても、あの4人で音楽を作ることはいつまでも止めないと思っていた。

 

 


発表があった日、IKIリリースツアーからずっとヒトリエの来札に一緒に行っている友だちと飲んで、散々泣いて、それからやっぱりヒトリエは最高だねって話をして笑って、音源聞きまくって、やっぱり好きだなあって、あたたかい気持ちになって眠った。なんとなく大丈夫なような気になって。けれど、次の朝、目覚めた瞬間胸の中が悲しいでいっぱいになって呆然とした。ヒトリエの夢を見たわけでも、起きると同時にwowakaさんのことを考えたわけでもなかったのに。誰かがいなくなるというのはこういうことなんだと知った。wowakaさんを愛したすべての人に、もう元通りの日常は戻ってこないということ。wowakaさんがいなくなる前と、後。そうやって生活は続いていくんだということ。

ゆっくり休んでなんて言えない。wowakaさんは絶対にもっともっと生きたかっただろうから。あなたの分まで、なんて尚更。胸を張って言えるのは、わたしはずっとずっとヒトリエが大好きだってそれだけで、それってwowakaさんがいなくなる前となんにも変わらない。でも、それでいいなと思った。

 

 


死ぬまで全力で生きるから、向こうでまたライブ見せてください。チケットは大事に取っておきます。

そして、終わらないでくれるらしいヒトリエのこの先が、どうかあたたかい光で包まれていますように。

 

f:id:amu1o9:20190411231155j:image


f:id:amu1o9:20190411231151j:image

 

 

 

【米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃】に寄せて

 

 

米津玄師が今までに達成してきた偉業の数々に対して、全部「当たり前でしょう」と思ってきた。わたしはアイネクライネで米津玄師と出会って、その時点で既に米津さんは日本の音楽を背負って立っていたから。好きになった時点で米津さんはもうある程度完成されていたから。そこに辿り着くまでの過程を見ているハチ時代からのファンや、反対に何も知らなかった一般の方々はLemonの大大大ヒットに驚いたかもしれないけれど、わたしは何の疑問も抱かなかった。

 


(Lemonで売れるんだ、とは思ったけど…米津玄師はLOSER、あいみょんは愛を伝えたいだとかが文句なしのキラーチューンだと思うので…売れるとキラーチューンはまた別物なことも理解できるからいいんですけど!)

 


そんなわたしが あ、これ只事じゃないな、と思ったのは、『米津玄師 2018 LIVE / Flamingo』のライブレポを読んだ時。

 


そして紅白でのLemonを見た時。

 


米津玄師の才能に、いろいろなスケール感が追いついてきたという実感。それは音楽が届く人の数であったり、用意される舞台の大きさであったり。そして何より、米津さん自身の覚悟。人々の前に出ていって、自らの声と肉体をもってして伝えるということに真っ正面から向きあう覚悟。また、自分とバンドメンバー以外の表現者をステージに上げても負けないフィジカル。

現在の米津さんは、わたしの思い描いていた「米津玄師ここまで行くっしょ」に到達しつつあることが明らかで、ずっと見たかったあんな米津玄師やそんな米津玄師が見れるであろうという事実に震えながら2月17日を迎えた。『米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃』札幌公演2日目@北海きたえーる、その日。

 

 


個人のブログだから思ったことを素直に書くけれど、正直なところ、最初のブロックはひたすらに悲しくなってしまった。米津玄師は「歌を歌っている」、いろいろな「演出がなされている」、みんなが「聞いている」それだけ。米津さんの声の調子があまりに悪い。ライブし始めでまだまだ音程が怪しかった頃とか、「今日は高音出ないDAY」と笑っていたキャスとか、そういうのとはまったく違う、嫌な歌い方。思い通りに声が出せないフラストレーションが伝わってきて苦しくなった。過去最大のキャパも各地ツーデイズずつ回るスケジュールも、米津さんに無理を強いているのだろうと。米津玄師はこんなものじゃないのに、今日はじめてライブに来た人が「あんま歌上手くなかったね」なんて言いながら帰るところまで想像して病んだ。オタク

 

 


しかし、軽いMCを挟んだ後のセカンドブロック。

Moonlightが始まった瞬間分かった。

わたしが見たかった米津玄師はこれだと。

可動式のステージ装置をふんだんに利用した演出、スクリーンには曲への没入を誘う映像、チーム辻本のダンサーたちが描き出す心象風景、そしてぐんぐん調子を取り戻す米津玄師。そこから続くfogbound, amen, Paper Flowerの間ずっと、祈るかたちで指を組んでいた。知らず知らずのうちに力を入れすぎていて指先が冷えきった。それぞれの曲間、神聖すぎる静寂の中、自分の荒い呼吸がやけに気になった。もしかしたら、演奏中、息をすることを忘れていたのかもしれないと思うくらいに深く入り込んでいた。わたし、今ここで死んだとしても、きっと受け入れられるとぼんやり考えた。

 

いつか、死ぬか生きるかの選択を自らに迫った時、まだまだ大きくなっていく米津玄師の行先を見ずには死ねないと奥歯を噛み締めて踏み止まったことがあった。生きたいと思うのが米津さんに依ってだったなら、死んでもいいと思うことも彼に依るのだと知った。

 

わたしは、米津さんって喋るんですねとか、実在するんですねとか、そういうのがあまり好きじゃない。米津玄師はコンテンツではなくひとりの人間で、血の通う人間が作り出すものだからこそうつくしく、どうしようもなく人を惹きつける。

しかし、それを分かった上で、わたしは米津さんに対して信仰と呼んで差し支えない気持ちを抱いてしまう。救いであり祈りであると言えてしまう。そのことを改めて強く自覚した。1万人の中で、ひたすらに個人的で内省的な時間を過ごしていた。家でひとりで新曲を聞く時や、キャパ300のライブハウスで見た時と何も変わらない、ただ一対一で米津さんと、米津さんの生み出すものと向き合っていた。

 


そうして祈りを捧げているわたしの目の前で、突然ガラガラと礼拝堂が崩れ落ちていくような。深く暗いうつくしさの海を揺蕩う会場を覚醒させる、『Undercover』。無力感と同時に清々しい解放感。呆然としつつも、今すぐ駆け出し叫びたくなる気持ち良さ。もう全部どうでもよくなってしまう。約2年前、音楽隊で、Zepp Sapporoで演奏されたUndercoverも格好よかった。間違いなくあの時点でのベストなパフォーマンスだった。けれど、スクリーンに映し出される幾何学模様とか、米津玄師に従い歩く太鼓隊とか、全てのスケールがあの時とは違って全く比較のしようがない。『才能にスケール感が追いついた』ことをいちばん強く実感したのはこの曲でだった気がする。2年前にリリースされた、MVがあるわけでもない単なるアルバム曲でさえこれだけの強度があるということがはっきり示されていたからかな。

さらに爱丽丝 、ゴーゴー幽霊船と続く流れで完全にトリップ。1日目はゴーゴー幽霊船がなくて代わりにTEENAGE RIOTが演奏されたらしい。わたしは断然2日目派ですね。ラッキー

 

 


MCもすごく印象的だった。これまでに見たことがないくらい、すごくすごく慎重に、丁寧に、大切に言葉を選んでいる様子。「誰一人取り落すことのない船みたいなものを作りたい。それは理想だということもわかっている」昔から言っていることだけれど、言葉に滲む切実さがより増していた。「綱引きのように両手を引っ張られフラフラしながら、理想と現実の中間を歩き続けたい。中庸ではなくて中間。理想と現実の中間、明るいと暗いの中間、そういうところを」大袈裟ではなく、彼はすべての人に届くものを作ろうとしているし、実際に届くようになってきているし、その輪はこれから先もっともっと大きくなる。こんな稀代の芸術家と同じ時代を生きられることが心の底からうれしい。

 

 


ラスト数曲からアンコールにかけては、米津さんがずっと求めていたものである普遍的な美しさ、素晴らしさが全面に出たパフォーマンスだった。BUMP OF CHICKENRADWIMPSへのリスペクトを込めた『Nighthawks』。ステージでは松明のような火がゆらゆら揺れ、背後のスクリーンでは星が流れる中ひたむきに歌い上げられた『orion』。『Lemon』では会場全体がレモンの香りに包まれた。さながら4DX。ダンサーも太鼓隊も全員登場し、大量のしゃぼん玉がふわふわ飛んでいた『ごめんね』は、完全に子ども向けの教育番組の図。

明るいと暗いの中間、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドの中間、そういうところに米津さんが既にいることは間違いない。その左右の振り幅がどんどん深くなっていって、中間で射止めるものの精度もどんどん上がっていく、それがこれからの米津玄師なんだろうなと思った。今までもこれからも、米津さんの向かう先は何も変わっていない。

 

 

 

 

わたしにとって、ひとつの答え合わせのような、どこまでも美しい時間でした。

あなたの終わらない旅の後ろをいつまでも着いていくこと、それだけずっと、許してください。

 

 

 

 

f:id:amu1o9:20190221144803j:image