euphoria

音楽と人生と情緒

【米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃】に寄せて

 

 

米津玄師が今までに達成してきた偉業の数々に対して、全部「当たり前でしょう」と思ってきた。わたしはアイネクライネで米津玄師と出会って、その時点で既に米津さんは日本の音楽を背負って立っていたから。好きになった時点で米津さんはもうある程度完成されていたから。そこに辿り着くまでの過程を見ているハチ時代からのファンや、反対に何も知らなかった一般の方々はLemonの大大大ヒットに驚いたかもしれないけれど、わたしは何の疑問も抱かなかった。

 


(Lemonで売れるんだ、とは思ったけど…米津玄師はLOSER、あいみょんは愛を伝えたいだとかが文句なしのキラーチューンだと思うので…売れるとキラーチューンはまた別物なことも理解できるからいいんですけど!)

 


そんなわたしが あ、これ只事じゃないな、と思ったのは、『米津玄師 2018 LIVE / Flamingo』のライブレポを読んだ時。

 


そして紅白でのLemonを見た時。

 


米津玄師の才能に、いろいろなスケール感が追いついてきたという実感。それは音楽が届く人の数であったり、用意される舞台の大きさであったり。そして何より、米津さん自身の覚悟。人々の前に出ていって、自らの声と肉体をもってして伝えるということに真っ正面から向きあう覚悟。また、自分とバンドメンバー以外の表現者をステージに上げても負けないフィジカル。

現在の米津さんは、わたしの思い描いていた「米津玄師ここまで行くっしょ」に到達しつつあることが明らかで、ずっと見たかったあんな米津玄師やそんな米津玄師が見れるであろうという事実に震えながら2月17日を迎えた。『米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃』札幌公演2日目@北海きたえーる、その日。

 

 


個人のブログだから思ったことを素直に書くけれど、正直なところ、最初のブロックはひたすらに悲しくなってしまった。米津玄師は「歌を歌っている」、いろいろな「演出がなされている」、みんなが「聞いている」それだけ。米津さんの声の調子があまりに悪い。ライブし始めでまだまだ音程が怪しかった頃とか、「今日は高音出ないDAY」と笑っていたキャスとか、そういうのとはまったく違う、嫌な歌い方。思い通りに声が出せないフラストレーションが伝わってきて苦しくなった。過去最大のキャパも各地ツーデイズずつ回るスケジュールも、米津さんに無理を強いているのだろうと。米津玄師はこんなものじゃないのに、今日はじめてライブに来た人が「あんま歌上手くなかったね」なんて言いながら帰るところまで想像して病んだ。オタク

 

 


しかし、軽いMCを挟んだ後のセカンドブロック。

Moonlightが始まった瞬間分かった。

わたしが見たかった米津玄師はこれだと。

可動式のステージ装置をふんだんに利用した演出、スクリーンには曲への没入を誘う映像、チーム辻本のダンサーたちが描き出す心象風景、そしてぐんぐん調子を取り戻す米津玄師。そこから続くfogbound, amen, Paper Flowerの間ずっと、祈るかたちで指を組んでいた。知らず知らずのうちに力を入れすぎていて指先が冷えきった。それぞれの曲間、神聖すぎる静寂の中、自分の荒い呼吸がやけに気になった。もしかしたら、演奏中、息をすることを忘れていたのかもしれないと思うくらいに深く入り込んでいた。わたし、今ここで死んだとしても、きっと受け入れられるとぼんやり考えた。

 

いつか、死ぬか生きるかの選択を自らに迫った時、まだまだ大きくなっていく米津玄師の行先を見ずには死ねないと奥歯を噛み締めて踏み止まったことがあった。生きたいと思うのが米津さんに依ってだったなら、死んでもいいと思うことも彼に依るのだと知った。

 

わたしは、米津さんって喋るんですねとか、実在するんですねとか、そういうのがあまり好きじゃない。米津玄師はコンテンツではなくひとりの人間で、血の通う人間が作り出すものだからこそうつくしく、どうしようもなく人を惹きつける。

しかし、それを分かった上で、わたしは米津さんに対して信仰と呼んで差し支えない気持ちを抱いてしまう。救いであり祈りであると言えてしまう。そのことを改めて強く自覚した。1万人の中で、ひたすらに個人的で内省的な時間を過ごしていた。家でひとりで新曲を聞く時や、キャパ300のライブハウスで見た時と何も変わらない、ただ一対一で米津さんと、米津さんの生み出すものと向き合っていた。

 


そうして祈りを捧げているわたしの目の前で、突然ガラガラと礼拝堂が崩れ落ちていくような。深く暗いうつくしさの海を揺蕩う会場を覚醒させる、『Undercover』。無力感と同時に清々しい解放感。呆然としつつも、今すぐ駆け出し叫びたくなる気持ち良さ。もう全部どうでもよくなってしまう。約2年前、音楽隊で、Zepp Sapporoで演奏されたUndercoverも格好よかった。間違いなくあの時点でのベストなパフォーマンスだった。けれど、スクリーンに映し出される幾何学模様とか、米津玄師に従い歩く太鼓隊とか、全てのスケールがあの時とは違って全く比較のしようがない。『才能にスケール感が追いついた』ことをいちばん強く実感したのはこの曲でだった気がする。2年前にリリースされた、MVがあるわけでもない単なるアルバム曲でさえこれだけの強度があるということがはっきり示されていたからかな。

さらに爱丽丝 、ゴーゴー幽霊船と続く流れで完全にトリップ。1日目はゴーゴー幽霊船がなくて代わりにTEENAGE RIOTが演奏されたらしい。わたしは断然2日目派ですね。ラッキー

 

 


MCもすごく印象的だった。これまでに見たことがないくらい、すごくすごく慎重に、丁寧に、大切に言葉を選んでいる様子。「誰一人取り落すことのない船みたいなものを作りたい。それは理想だということもわかっている」昔から言っていることだけれど、言葉に滲む切実さがより増していた。「綱引きのように両手を引っ張られフラフラしながら、理想と現実の中間を歩き続けたい。中庸ではなくて中間。理想と現実の中間、明るいと暗いの中間、そういうところを」大袈裟ではなく、彼はすべての人に届くものを作ろうとしているし、実際に届くようになってきているし、その輪はこれから先もっともっと大きくなる。こんな稀代の芸術家と同じ時代を生きられることが心の底からうれしい。

 

 


ラスト数曲からアンコールにかけては、米津さんがずっと求めていたものである普遍的な美しさ、素晴らしさが全面に出たパフォーマンスだった。BUMP OF CHICKENRADWIMPSへのリスペクトを込めた『Nighthawks』。ステージでは松明のような火がゆらゆら揺れ、背後のスクリーンでは星が流れる中ひたむきに歌い上げられた『orion』。『Lemon』では会場全体がレモンの香りに包まれた。さながら4DX。ダンサーも太鼓隊も全員登場し、大量のしゃぼん玉がふわふわ飛んでいた『ごめんね』は、完全に子ども向けの教育番組の図。

明るいと暗いの中間、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドの中間、そういうところに米津さんが既にいることは間違いない。その左右の振り幅がどんどん深くなっていって、中間で射止めるものの精度もどんどん上がっていく、それがこれからの米津玄師なんだろうなと思った。今までもこれからも、米津さんの向かう先は何も変わっていない。

 

 

 

 

わたしにとって、ひとつの答え合わせのような、どこまでも美しい時間でした。

あなたの終わらない旅の後ろをいつまでも着いていくこと、それだけずっと、許してください。

 

 

 

 

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